2009年10月16日
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首都高速4号線はもしかしたら玉川上水の流れる水の上に建設されたかもしれない!?

Written By: 川俣 晶連絡先

 少し用事があってホームセンター(高井戸のスーパーバリュー)まで行く途中で、非常に意味のある事実に気づいてしまいました。

上北沢駅入り口交差点の陸橋 §

上北沢駅入り口交差点には、甲州街道から放射5号線に入る陸橋が首都高速4号線の下に存在します。位置は以下の通りですが、首都高速4号線の下にあたるため、航空写真ではわかりにくい存在です。

 さてここからが問題です。

 今日、D点からやや西にある交差点を渡りました。普段はまず使わない交差点です。それ以前にこのあたりに来る機会そのものが多くありません。交差点を渡っている途中で気づきました。ここは水道用地ですという看板が出ています。

水道用地を示す看板

 これを見た瞬間に目から鱗がずっぽりと落ちました。

 「玉川上水を潰して放射5号線と首都高4号線を作った」という解釈はおそらく間違いです。

 実際には「玉川上水上空の空間と両岸の敷地を使って放射5号線と首都高4号線を作った」という解釈が正しそうです。つまり、玉川上水跡地の水道用地は柵で囲われたまま(たぶん)何の目的にも使用されず、そこに存在し続けています。道路のために潰されてはいません。

 そこで更にピンと来ました。

 ということは、玉川上水跡地に沿っていない上北沢駅入り口交差点以東の陸橋は、ずっと上下線の間隔が狭いはずだ! そして、もちろんそれは正解でした。交差点以東では、陸橋は首都高速4号線の下にほぼ隠れていますが、以西でははみ出しています。

 そして、漠然と違和感があった以下のことに説明が付きます。

上北沢駅入り口交差点西部には不自然な空き地が存在する §

 玉川上水跡地はここで急に北に曲がって道路から離れていきます。この離れる点から交差点までの空間は、いきなり道路の上下線の間隔を狭くするわけにもいかず、かといって何らかの施設を作るにも適さず、放置されるしかありません。

上記空き地だけコンクリート §

 玉川上水跡地は土の地面ですが、上記空き地はコンクリートです。この相違は、玉川上水跡地が水道用地として別の持ち主と別の管理下にあるため、相違が生じていると考えられます。

放射5号線は過剰に幅が広く感じられる §

 中央に水道用地が存在するので、当然の結果です。

放射5号線の太い土地のどこが玉川上水だったのか良く分からない §

 たぶん、現在も水道用地として残る部分が玉川上水だった場所です。特に曲がって道路から離れていく箇所の境界線は明瞭に柵として残っています。

更に驚くべき仮説が浮上するぞ! §

 このように、この陸橋の下部には綺麗なまでに玉川上水用地が土の地面のまま残っています。もちろん、緑地として整備しているわけでもありません。こうまでして土を残しているのは、単純に水道用地を避けただけと考えられます。しかし、他の場所では玉川上水跡地を道路の一部に組み込んでいるケースも多く、ここだけ外す理由が分かりません。

 そこではたと気づいたのですが。もしや、この部分は日本橋などに見られる「川の上に高速道路」というパターンを踏襲した設計だったのではないかと。

 つまり、上北沢付近では、玉川上水の真上を通る首都高速4号線という光景が想定された可能性があるのではないかと。

 ちなみに、首都高速4号線の高井戸出入口から西はこのような形での用地は残っておらず、すべて道路になっています。しかし、環八と交差する陸橋部分の下には同様の土地が残っています。ですので、実際の建設の段階では「玉川上水を残す」という発想は無かったように思われます。しかし、計画段階ではもしかしたら玉川上水の流れの上下左右に道路がある形態が想定されていたのかもしれません。それは、現在の放射5号線の延長部分で、玉川上水を潰さずに左右に道路を建設する構想とも類似します。

感想 §

 いやー、まさかねえ。こんなことに今頃気づくとは。

 ちなみに最初に気づいた交差点から見ると、高速道路と陸橋の橋脚が味のある形状で、しかも北を見ると北堀線と和田堀線の鉄塔が見えるという、まさにドボク系スポット。全てが1つにはまった感じです。

 しかし、玉川上水跡地の範囲がほぼ正確に特定できそうなので、いろいろな考えが更に進む可能性も出てきました。といっても、まだ具体的なアイデアは何もありませんが。

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